「このままの人生でいいのかな…」
子育てが少し落ち着いてきた頃、ふとした瞬間に、そんなことを考えてしまうことはありませんか?
(そう簡単には、子育てって落ち着かないんですが。。。)
変わりたい気持ちはあるのに、何から始めたらいいかわからない。
自分の体調が悪くても子供の送迎やご飯作りを優先し、
その習い事や仕事でも波風を立てないように空気を読み、
もうそういう状況が当たり前で、自分のことは、いつも後回し。
あなたがもし今そうなら、今日はこのブログを最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
わたしも、まったく同じところにいたので。
「ちゃんとした母親」を演じていた頃
あの頃のわたしは、仕事も家庭も、全部ちゃんとやろうとしていました。
育児休業を2度取りながら、フルタイムでずっと勤めて。
収入も安定していて、家族もいて。
「ちゃんとした母親」「仕事ができるお母さん」に、なりきろうとしていたんです。
人に頼るのが苦手で、全部ひとりで抱え込んで。
本当は疲れ切っている体にも、不安定になっていく心にも、わたしはまったく気づいていませんでした。
もしかして、気づいてたのかもしれないです。
ただ、そんな違和感にも気づかないフリをする癖が付いてたようにも思います。
ある日、突然、職場に行けなくなった
その日は、天気のいい朝でした。
休日出勤しなければならなくて、だから尚更仕事に行かないといけなかった。
それなのに急に、「あ、なんかもう無理かも」と思ったんです。
いや、思考より先に体が動かなくなったかな。
頭の中は真っ白になっていました。
それまでは、仕事を休むことに罪悪感しかなかったのに。
どうしても、体が動かなかったんです。
そこから、2年近く、家にこもる日々が続きました。
あの頃のわたしは、すべてを他人のせいにしていました。
「わたしがこうなったのは、上司のせいだ」
「夫が何もしてくれないからだ」
可哀想なわたし。
そこに、どっぷり浸かっていたんだと思います。
人に会うのが苦痛で、他人はストレスでしかなくて。
今まで積み上げてきたことも、「全部ムダだったんじゃないか」と思っていました。
転機は、子育てを調べていた時に訪れた
子どもと向き合うことまで辛くなったわたしは、子育てについて調べるようになりました。
そんな時、こんなことを知ったんです。
子どもをどうにかしようとするんじゃなく、自分を知って、自分に合う子育てを見つけるのがいい。
その瞬間、ハッとしました。
わたしが何よりも苦しかったのは、「自分を知らなかった」ことだったんだ、って。
この気づきは、わたしにとって、奇跡みたいなものでした。
そこから、「自分と向き合うこと」が、わたしの中心になりました。
脳科学で、「理由がわかる」だけで、心が和らいだ
そのタイミングで出会ったのが、脳科学でした。
自分の価値観や、得意なこと、今の状態が、言葉や数値で見える。
「何でこんなふうに考えちゃうんだろう」と思っていた自分の行動や考え方にも、ちゃんと理由があった。
それがわかっただけで、心に張り付いていた何かが、すこし和らいだんです。
「変わりたいのに動けない」のは、わたしの性格が悪いからでも、意志が弱いからでもなかった。
脳が変化を怖がって、ブレーキをかけていただけだったんですよね。
ただ、ここで大事なことがあります。
「理解すること」と「自分にOKを出すこと」は、別物だということ。
頭でわかっても、気持ちがすぐに「そんな自分でも大丈夫」とはならないんです。
自分を責める日々から抜け出した、小さな3つのこと
大きな決断をしたわけじゃないです。
やったのは、本当に小さなことでした。
① 「責めているのは、自分だった」と気づいた
「ちゃんとした母親」
「しっかり者の妻」
「失敗しない人」
そんな肩書きを、誰にも言われていないのに、自分で勝手に背負っていました。
「わたし、いったい誰のために“ちゃんと”してたんだろう?」
間違えるのが怖いのは、「間違えた自分を責めるクセ」があるから。
誰かに責められているんじゃなくて、自分で自分を責めていたんです。
気づいた時は、すごく悲しかったです。
でも同時に、ちょっとホッとしました。
「じゃあ、わたしが許せばいいんだ」って。
② 「悪いところ探し」を、お休みした
わたしは、「よくなる方法」を探しているつもりで、ずっと「悪いところ探し」をしていました。
どれだけ理由を探しても、それはただの自己否定にしかならない。
だから、うまくいかない理由探しは、いったんお休みしました。
代わりに、うまくいっていないときの自分に、寄り添うことにしたんです。
「でも、わたしなりに頑張ってる」
「本当はちゃんと向き合おうとしてる」
そうやって、ちいさなOKを出してあげること。
それだけで、見える景色が少し変わりました。
③ 「まあいっか」を、日常で練習した
今でも、完璧主義なところは残っています。
子どものご飯の量を量るクセは、別にしなくてもいいのに、今もやってしまうんです笑
でも、こんなふうに思えるようになりました。
「レシピがなくても作ってみようかな」
「失敗したら、また考えればいいや」
「まあいっか。今日はこれでOK!」
「まあいっか」は、あきらめでも手抜きでもありません。
自分を責めない、という優しさでした。
今日のあなたへ
今のわたしは、「どんな自分でも、大丈夫」と思える日が増えました。
イライラする日も、不安になる日もまだまだあります。
それでも、大丈夫です。
だからあなたにも、まずはこれだけ、やってみてほしいんです。
「わたし、なんでこう感じるんだろう?」
そう思ってみること。
変わりたいのに動けない自分を、責めなくていい。
それは性格じゃなくて、脳のクセかもしれないから。
自分を知りたいと思ったその瞬間が、自分軸に戻る、最初の一歩になります🌿
おまけ:問いかけを、書き出してみたくなったら
「わたし、なんでこう感じるんだろう?」
そう問いかけるだけでも、十分です。
でも、頭の中でぐるぐるしてしまう日は、書き出してみるのも、ひとつの方法だと思っています。
わたしは、Obsidianというメモアプリに、デイリーノートを書いています。
その日にあったこと、そのとき感じたこと、気づいたこと。
事実、感情、学び、最初は分けて書いてたけど、
今は書き方にこだわらず、自由に書くようにしています。
そのほうが、考えずに書けて本音が出るから。
ただ、正直に言うと、今は毎日は書けていません。
でも、毎日じゃなくてもいいと思うんです。
書ける日に、書けるぶんだけ。
書けなかった日があっても、それも責めなくていい。
そんなわたしが、これから書き出しを始めたい人におすすめするなら、手書きです。
理由は、わたしの場合、どうしてもスマホやパソコンに打ち込むことで、
きれいな文章にしよう、読みやすく整えよう、という気持ちが出てきてしまうんですよね、なぜか。
手を動かして書くと、スピードがゆっくりになる分、自分の気持ちにも追いつきやすいかもしれません。
キレイに書こうとしなくて大丈夫。
きれいに書こうとする自分に気づくのもまた、面白いけど。
またやってるわ笑って。
誰にも見せないノートなので、ぐちゃぐちゃでも、途中でやめても、OKです。
「何をどう書いたらいいかわからない」という方には、手書きで自分と向き合う方法を紹介している本もあります。
まずは一冊、ぱらぱらとめくってみるのもいいかもしれません。
書くことは、自分を責めるためじゃなくて、自分を知るためのもの。
そう思えたら、ノートを開くハードルも、きっと少し下がると思います🌿

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